加藤久という男
加藤久 “Qさん”は、読売クラブ全盛期の選手として、また日本代表の名センターバックとして名を馳せた。
それに反して、プロサッカーコーチ(監督)としての実績は惨憺たるものだった。
1997年に就任したヴェルディでは、1stステージ途中で辞任。
2000年に就任したJ2湘南ベルマーレでは、J1復帰を果たすことができなかった(8位)。
3度目の行き先は、九州サッカー”Kyuリーグ”の沖縄かりゆしFC。
しかし、そこでもプレーオフの末、JFL昇格を逃がす。
かりゆし時代のサッカーは見たことがないけれども、ヴェルディ、そしてベルマーレ時代のサッカーはわりとベーシックなものだったと思う。
守備的な選手を重用、攻めてはショートカウンター
で、2008年。
’07年途中就任、入れ替え戦での勝利を経て、Qさんは再びJ1チームの指揮を執ることになる。
10年以上を歳月を経た彼は、過去率いたチームとは大きく違うスタイルを導入した。
それは、「相手のよさを極力消す」サッカーだった。
アンカーにシヂクレイを使い、角田をトップ下で起用したりする。
中盤はほとんどが守備的な選手。
相手にスペースを与えない狙いだろう。
また、ボールを奪っては「ショートカウンター」が基本。
出しどころがなければ、前線に向けて大きく蹴りだし、フォワードが競り勝つことを期待する。
途中、フェルナンジーニョが加入して、「ドリブル」というスパイスを混ぜたものの、基本はそんな戦い方だった。
相手をよさを消すサッカーの意図は?
この戦いは、きわめてきわめて現実的なスタイルだと思う。
華麗にボールを繋ぐとか、そういうことはあまり考えない。
いかに相手のリズムをつくらせず、そして、「蜂の一刺し」のようにゴールを奪って逃げ切る。
勝てば最高だが、引き分けもいとわない。
おそらく、こうした戦い方を選択したのは、
「今季は絶対に降格できない」
という、Qさんの強い決意から出てきたのではないだろうか?
もちろん、「エレベータチーム」と揶揄されるサンガにとって、J1に残ることはサポータ獲得のためにも重要なタスクだった。
そして、「監督」であるQさんにとって…。
今季降格してしまったら、ふたたび監督として一敗地にまみえることになる。
とにかく、少なくとも「残留」を果たし、監督としての実績に新しい1ページを記したかった。
そんな気持ちもあって、リアリストすぎるサッカーを展開したのではないか、と個人的には推測する次第である。
アウェイ大宮戦、ドローに終わりJ1残留が決まったとき——。
タイプアップの笛とともに、Qさんは小さくガッツポーズをした。
今回の記事は、そのシーンを見た瞬間に思いついたことを文字化したものである。
もちろん単なる妄想、邪推であると、最後に付け加えさせていただきますね。