河合竜二という男

Jリーグ史上最多となる6万4899人の観客を集めようが、当方京都サポにつき、まるで関心がなかった2004サントリーチャンピオンシップ第1戦。
一応、PSXで録画したものを超早送りで眺めただけ。
とはいえ、決勝点をヘッドで決めた河合には、ちょっと感動させられた。
スポーツ新聞も「解雇された男が古巣にキツイ恩返し」という格好のネタに食いついている。
まとめてみた。

▼97年、浦和入団。入団決定時に当時現役だったブッフバルト監督からスパイクをもらった。

▼02年冬、浦和を戦力外通告。

▼合同トライアウトも受験。それでも声がかからず、中国のプロリーグ・Cリーグ挑戦ツアー参加も決める(このとき藤吉らが参加)。

▼出発前日、祖父が急死し、中国行きを取りやめる。

▼03年シーズンから横浜の指揮を執ることになった岡田”Oka-Chang”監督が、02年をもって引退した元日本代表DF井原正巳(横浜→浦和)に「チームのために汗のかける選手を知らないか?」と聞いたところ、河合を推薦。獲得が決まる。

▼練習を見た岡田監督が「使ってみたら全然ダメ。バーベル持っても30キロも上がらないし」と判断。DFにコンバートし「1年間コンディション崩してもいいから、体をつくれ」と指示。

▼以後、節制し鶏肉中心の食生活と筋肉トレーニング。体重は4キロ落ち、ベンチプレスは35キロから65キロに増えた。

▼第2ステージ、主力の故障もあってDFとして出場するようになる。

やっぱり、メンタルとフィジカル重要。

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